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2015年05月21日

プレドニゾロンが3粒になった!


プレドニゾロン1mgを4錠ずっとずっとずっとずっと飲んでいたけど
今月の受診でここ何年か血液検査結果が安定しているので
3錠に〜\(^o^)/
これ、めっちゃ嬉しい〜♪♪♪
そしてノイロトロピンも4錠から2錠に。
気のせいか
ノイロトロピン減量した翌日、朝起きた時、全身のバキバキ痛み感で泣きそうになりましたが
こりゃ、いかん!と痛みをこらえて階段を降りたら
いつの間にか階下に着く頃は忘れて
慌ただしく朝の支度に没頭しておりました…
ただプレドニゾロン3錠時代が
また果てしなく続きますがね-----


  

Posted by よっといでん  at 21:32Comments(0)成人スティル病闘病家

2014年05月14日

プレドニンが4ミリに!


やったやったやった(^O^)/
今月の受診日からプレドニンが5ミリから4ミリになりました!
というか申し出ました。
お薬名はプレドニゾロン
採血結果も変わりなく
うまく薬でコントロールされている毎日。
ノイロトロピンも続行中。
H16年の1月に倒れこむように入院してから、原因不明で検査検査....
そしてこの病名がついて早10年。
5月から先生が変わりました。
トータルして5人目かな?

目指すはは人並み。
デイサービスの利用者さんの血圧を毎朝計る私は....
90歳を超える方々の若い血管に
(負けたっ!!!)て毎回思っているんだよ
v(^_^v)♪

  

Posted by よっといでん  at 22:57Comments(0)成人スティル病闘病家

2014年02月26日

魔法の薬に神頼み!ノイロトロピン!


平成26年に入って新しい薬を追加してもらいました。
その名は「ノイロトロピン」4単位
朝晩忘れがちですが飲んでます。
「リリカ」という薬もあるそうですが
運転する私には副作用が心配とのこと。
夜、ベッドに入った時には
瞬間微動だもせず手足が動かなくなる。
そのくらい爆睡する。
で、朝、全身の痛みで起き上がれない。
しばらく家事をしていると
首肩こりと右背中のシビレ以外の痛みは遠くなっていっている。
そんな毎日に効く?薬を処方してもらい様子を見ている今日この頃……です。
今までの「プレドニン」やら「アトルバスタチン」達に加えて
ノイロトロピンにプラスして以前から朝晩飲んでいる「チザニン」1mg
どうよ?
この魔法、すぐに痛みを取るのではなく
痛い痛いって思う脳ミソをゆっくりだましていくらしい。
ネットでも検索していて面白いって思った。
日本で開発されたんだ……
頑張れ!
娘と息子がメチャメチャ健康なんだから
頑張れ!



  

Posted by よっといでん  at 10:15Comments(0)成人スティル病闘病家

2013年09月25日

多分心筋梗塞か?

やはりおかしい。
先週いつもの膠原病定期受診の時に
「前回の受診から今日までに、2回、心臓から喉にかけて鈍い痛みがダラダラと続いている」
と若い主治医に言った。
過去にも何度か体験した痛みだ。
だいたい夜になる。
だいぶ前にもらったニトロベン舌下錠は一度も飲んでいないまま古すぎて破棄した。
「心筋梗塞か狭心症か調べてみないと、心電図ではわからない」と先生。
「激痛ではなく、がまんできる痛みが2〜3日続いて、今はなんともありません」と私。
「ただひどい脂汗をかきました」と私。
その時に私の異常な脂汗を見た息子が
「かあちゃん、どおした?髪の毛から汗が垂れてるぞ!」と。
………
「心臓にカテーテルを通す検査でないとわからないけど、もし今度痛みがきたら、直ぐに救急で、来て。
がまんしないで救急車呼んで
一刻を争うから」と先生。
「………」私はコトの重大さにまだピンときていない。
「1分が命取りになるからね。
処置が遅いと死んでしまうよ」
もちろんその日に撮った心電図では異常なし。
………
今、どーんと胸から喉の奥が痛いよう。
ネットでニトロベンを検索。
副作用で「頭痛」の二文字を見て
やめた。
知恵袋も読んで一人頷く。
今、痛みを確認しつつブログを書いている。
まだ死ねない。
……明日には治っている。
そして私は何事もなかったかのように
仕事に行っている……

  

Posted by よっといでん  at 23:27Comments(0)成人スティル病闘病家

2013年07月28日

「おいでん花火」Life is treasure!



生きてて良かったあ〜
今年も堪能できました。


いつもはビールと弁当片手に人混みの多い河川敷まで出向いて見てましたが
今年はひっそりと……
カップル、ファミリーの間に挟まって
一人で……\(^o^)/
ここはアナウンスの声もメロディも大歓声も聞こえない。


仕掛けは全く見えないけれど
夜空の花火と
水に映った花火が見れてお得でした。
最近
わりと体調が良いの。
頭痛薬…飲んでないし。
降圧剤やめても、まあまあの測定値。
主治医いわく
「あと2年間この調子が続くようならプレドニンの量を5ミリから減らしてみましょうか〜」って。
2年かかって5ミリが4ミリになり
調子良ければさらにまた2年かかって4ミリが3ミリになり……
でも決して「0」になることはない。

もし途中で再燃したら外来で処方できるギリギリの20ミリに戻ってしまう。

シュルシュルと宙に打ち上がる花火も
重いんだよ。
一回コッキリなんだよ。

Life is treasure





  

Posted by よっといでん  at 21:24Comments(0)成人スティル病闘病家

2013年03月26日

下向くと目の奥が痛い&ニトロ!


4月になってから↑ここに行くのに
2日くらい前から
下向くと目の奥が痛いんだ。
今までこんなことなかったのに。

おメメの裏側が真っ赤っ赤⁉
便利なネットで調べてみるけど
ただの疲れ目か重篤な脳の病気か…
やっぱり、そのどっちかだわね。

明日には痛いのと赤味が取れてますように(^_^)☆
ほんとに、夜寝る時に
「明日も目覚ましで目が覚めますように」
って思って眠るんだ。
長年のステロイド服用の副作用にニトロ持参の毎日だから。
で、朝6:00
キンコンカンコンキンコンカンコン…
「あぁ〜!もう朝か!ちっ!
わかったよ!わかりましたよっ!
はいはい、起きりゃ〜い〜んでしょ!」
(この間17分ほど布団の中でブチブチる)  

Posted by よっといでん  at 21:01Comments(0)成人スティル病闘病家

2012年12月30日

ステイル病〜この形容しがたい「だるさ」&クーリオ動画


内部疾患って頑張っちゃう。
みため普通だから電車も頑張っちゃう。
どこも痛くなければなんら普通の人と変わらず、どこまでも歩けます。
山も谷も歩けます。
でも身体の節々が朝から痛い時は
めちゃくちゃだるくて自然とムッツリ顔になり横になり動けなくなる。
で、夜は…ベッドに身体が落っこちるようにもぐりこみ
そのまま両手両足の指だけ動かし
安心する。
毎晩思うことは
「明日も目覚まし時計の音で目が覚めますように…」
そして毎朝思うことは
「今日は一日どこも痛くなりませんように…」

このメモ書きは原因不明の「不明熱」で入院した時に受けた検査。
なんせ高熱の合間に書いたからヨタヨタの字です。
この「成人ステイル病」は色んな検査をいっぱいして、
それで考えられるいろんな病名を消していって
最後に辿り着く消去法でつく病名なんです。

退院後、保大から来る専門医が
「今までにこの病名の患者さんに出会ったのは、あなたで二人目です。」
その言葉にビックリ(@_@)!したを覚えています。
で「もう一人の方は再燃しました。」
…ようするに良くなかったってこと…
メモ書きのように
パルス療法(ステロイド大量投入)で劇的にフェリチンの値は低くなって退院することができたんだけど……
正常値=138 私は=1114!!!
ソケイブリンパ節もグリングリンに腫れてて取り出したんだ。
http://www.nanbyou.or.jp/entry/132
処方箋の他に市販の鎮痛剤を一月に6〜7日は飲む。
たぶん豊田にはステイル病の人、いないかな。
この形容しがたい「だるさ」
濡れた鎧を着てるよう。
頑張っちゃう自分に来年は少しブレーキをかけよう。

「ギャングスターパラダイス」
ヒップホップの走り?
この曲は気だるさにピッタリフイット
v(^_^v)♪
古いけど好きだなあ〜
  


Posted by よっといでん  at 12:10成人スティル病闘病家

2012年11月25日

頭痛で髄膜炎の検査を受けた時のお話

この前のブーログに書いた頭痛入院(11/19)とは別の話です。
それは~
10年以上前になると思う。
お薬手帳からしてスティル病になる前の事。
頭痛入院はもう厚生病院になっていて、院庭からドクターヘリが来たのを感動して見てましたから。
なので、まだ名前が加茂病院時代で私もヘルパーさんをしてた頃~
肩こりがひどく、首ガチガチで湿布貼りまくり、ピップ貼りまくりの日が続いていたある日、
市販薬飲んでも頭痛が治らず
食欲なし吐き気あり
仕事もままならず、気力だけでは立ち上がれず
とうとう一人ではどうしても痛みがとれず、泣きなが友人に電話した。
ただ「頭痛い…」とだけした時のお話し。
(当時めっちゃ訳ありで旦那さんには頼れなかったのです)
その友人は猿投の果てから駆けつけてくれ、即効で救急車を手配!
「頭痛い=凄い危ない状態」と判断されたようで。
いつもキレイな私が煎餅布団の上で、着の身着のまま
「頭痛い…」しか言わないのを見てびっくりしたのだと思う。
救急隊がすぐに駆けつけ計熱37.3℃
私をタンカに乗せた。
私は彼女に「後は頼んだよ…(戸締りとか)」と目で頷いて救急車の中へ。
不思議と小さな肩幅ピッタリの冷たいベッドが妙に落ち着けました。
救急車の中で目をウルウルさせて
「くもまっか出血だと思います」
と気丈にも言った私。
そしたら隊員さんの一人が
「今までくも膜下出血だと思うって自分で言った人はいませんよ。」と。
「じゃあ、今から血管が切れるところです」
と、また気丈にも答えた私。
「住所も名前も言えるから大丈夫す。
それにもし本当にくも膜下出血ならこんなに話せませんよ」と。
少しホッとしながら揺られて病院内へ。
でここからが悲劇の始まり〜!
CT撮る前に吐いて
アタマの痛みが激しくてう〜う〜う〜
で、髄膜炎の疑いを持たれ
即効で背骨からブスッと注射針を刺され
髄液を抜かれ〜〜〜
結局は異常なし。
ただ背骨から髄液を取る時、確か数人の研修医さん達に囲まれた気がした。
なんか回りでしゃべっていたけど意識がう〜う〜で
先生の言うことにいちいち考えるのもつらくって全部頷いていたからなあ〜。
「はい。海老反りの反対の体勢をとってくださ〜い。
麻酔しますから痛くないですよ〜。
はい、よく見てて!こことここの間に、この角度で…」
そんな話し声が聞こえたような。
で、
髄液抜かれると、人はどうなるか知ってますか?
普通の人なら2〜3時間横になればムカムカ感がなくなり
なんら前と変わらないとのこと。
でも私は違いました。
特に脳には異常ないとのことで、鎮痛剤を処方され
その日はそのまま帰らされた私。
髄液抜かれてもじきに元通りになりますよ〜との説明で。
でも私は違いました。
何時間たっても何ともいえない平衡感覚の不具合からくる
ゲキ気持ち悪さで翌日もまたその翌日もフラフラで
トイレに行くのも這って行ってました。
家の中は這えるけど外は這えません。
三半規管からくるグルグル感。
手すりを持っても気持ち悪くて歩けず
10m歩くのに顔を歪めて吐き気に絶えて10分はかかったかな。
仕事どころじゃなく
脳外科に点滴を打ちに何回もかようはめになったんです。
何度目かの点滴でやっと人様と同じように戻る事ができたんです。
枯れた花にお水を与えたような〜。
脳みそにたっぷり新鮮なお水が入ったような〜。



これらは私の非常用枕です。
黄色いトゲトゲの上にアタマを乗せて
しばし横になります。
次の変な形の青いのも枕。
外国のなんとか博士開発のやつ。
でもって
この3ケ日間、私アタマが痛いんです!
頭痛薬飲んでも痛いんです!
なに?
もう、コレ、なに!?って感じです!!


  


Posted by よっといでん  at 21:40成人スティル病闘病家

2012年11月05日

熱発、発疹、こりゃヤバイと気付いた瞬間!


H16.1入院
病名~不明熱~
自分自身、こんな厄介な病気にさらされてるなんて思ってなかった。
熱が出ても市販薬で下がるから、この体調の悪さもそのうち必ず改善されると思ってた。
だるいけどヘルパーの仕事を休むほどでもない。
家に帰って家事もそこそこでグッタリするが、翌朝また仕事に行けていた。
そんなある日、仕事の合間に何気に話したら、一人の看護師が
「河上さん、毎日バファリン飲むのっておかしいよ…。
熱計表つけてる?
ちゃんと決まった時間に熱を計って、それを持って一度大きい病院に行ったら?」
「??」
今まで湿疹重視で皮膚科を転々としてた私は初めて
「な、内科?」
その時はじめてことの重大さに気がつきました!
その同僚の看護師の一言で
「こりゃたいへんだっ!」
私はなんだか幸せの崖から落ちたみたい~
ノウテンキな私に不幸の種が刺さったみたい~
な心境におちいり
即効、当時病院勤務の私が唯一話せる神経内科の先生を呼び止めて
毎日出るけど不思議と朝になるとおさまる赤い湿疹と
一日の間で上がったり下がったりと熱発が続くっていう話をするやいなや
先生はボソッと
「僕が君の行きたい病院に紹介状を書いてもいいよ」
「…………」( ゚д゚)
「とりあえず大学病院か大きな病院に行きなさい。・・・難病かもしれないから。」
私は手足の赤い湿疹がひけば
全てが治ると思ってた。
先生の言葉を聞いても私の頭は明日の勤務表でいっぱいだった。
遠い病院は車でサッと通えないし・・・
それに明日も出勤するし。
・・・・・・
でも、その時、それでも私は大きい病院に行けば
すぐに特効薬をもらって治ると思ってた。
甘かった……違ってた。
数日後
加茂(厚生)病院になだれ込み
「このままあなたは入院です」
確実に暇である実家の父に「起き上がれない・・・」とレスキュー要請
…………
入院して5日もたたないで
喉と、口に激痛が来た!
とたんに口が開け辛くなり
腹が減っても喉が痛くておかずが飲み込めなくなった。

病院食が一割くらいしか食べられない。
喉が痛くて痛くて、食べたいのに飲み込めない。
なんじゃ!こりゃ~!
噛むたびに痛みで顔がひん曲がる!!!
この尋常でない激痛はなんじゃっ!!!
数日後
私が病床から打ったメールを受け取った友人が見舞いに来てくれた。
「いつもメールで字を間違えたことのない河上さんが、
いっぱい字を間違って打ってきたから…心配で…」
って泣き声に変わった瞬間
大部屋の真ん中で
高熱のため誰が来たのかおぼろげだった私だったけど
その優しい声を聞いた瞬間
思いっきり泣けた。








  


Posted by よっといでん  at 22:18成人スティル病闘病家

2012年11月04日

高熱39度台連発の日々


今なおスティル病闘病中
2004.1月から頻回に熱発した私。
ヘルパーの仕事をしながらバファリン飲んで熱を下げては~の繰り返しの日々を続けてました。
具体的には38.5度以上毎日でて、解熱剤を飲むと36度に落ちること一ヶ月~
脚や全身にわりと左右対象に赤い発疹が出続けていた。
今日、古い熱計表を読み返してみて
自分にビックリ!(;゜0゜)
2004の2月は半月は39度台の熱がっ!!
最高は39.7!!
入院中の熱計表の余白に私が書いたメモがある。
「3/4〜6の3日間 パルス療法 点滴開始
今までプレドニン30ミリだったので20倍のステロイド×3日間」
「3/9 健(長男)卒業式出席
8〜17時外出許可取る
ふらふらでうまく歩けず
涙……」
と。
確か在校生がつくるアーチを卒業生とその親はくぐり抜け校門から去ります。
私は闘病中でふらふらでうまく歩けず
のろのろでひょろひょろで
脚がもつれて
歩いていても歩幅が小さく前の親子さんと徐々に差が開いたのを覚えてます。
私をおいてどんどん歩く息子の背中に追いつこうと必死でした。
~家についてちょっとツッパリの息子が~
「母ちゃん、一緒に写真撮ろう」
その一言でどどっと涙……涙……






大きくなってくれてありがとうハート





  


Posted by よっといでん  at 00:09成人スティル病闘病家

2012年10月26日

病中、ベッドの上でつかんだHIKARI


ベッドの上からつかんだ光りは
指のすきまをこぼれて私に届いた。
「あなたは大丈夫」
そんな声が聞こえたから
「絶対に離さない」って決めて思わずシャッターを押した
私の唯一のお守り写真にこにこ

ん?これは?
まるで女性の胸のような淡い写真は???
これなんですが
実は・・・・・!!!
私もわからないんです笑える
たぶん携帯の写真なので、シャッターを押す具合が微妙にずれて
何か??を撮っていたんだと思います。
まちがっても私の美乳ではありません。ぶた
(もっとキレイデス・・・)グー爆発

こちらが我が家のハロウィングッズです

  


Posted by よっといでん  at 22:44成人スティル病闘病家

2012年10月16日

マルクとパルスとTYVM



これは最近作ったドールハウスです。
木のボードはホームセンターで購入
小道具は100均やマグネット
小さな絵画は自作のチョークアートなどをカメラで撮って小さくプリントアウトして落ちてた小枝で飾ったものです。
だいたいA3くらいかな?
実物は豊田市西山町の「デイサービスよっといでん」にあります!
お近くにお寄りの際は是非みてあげて下さい!
車イス用のトイレに飾ってあり、たま~に小物の配置を変えて極上の自己満足に浸っております。
(*^◯^*)
ところでマルクとパルスって何ぞや?
と思われたかと思います。
前にも書いたように私は「成人スティル病」患者のひとりです。
膠原病の一種で原因不明、特効薬もなく完治しないやっかいな病気なんです。
マルクとはふっとい針をおっぱいとおっぱいの間にブスッとさされ骨髄液を採る検査。
もちろん局部麻酔で痛みはなく
針を刺した後、骨を探るようなググッと感があるだけでした。
私は入院中にそれを受けましたが
二度ほど大騒ぎして泣きわめいてドタキャンしました。
パジャマの前をはだけて先生を追い払いました!
理由は「もし心臓に刺さったらどうするのっ!」
でも「心臓ははずすから~」
の先生の一言で踏ん切りをつけました。
もう一つはパルス療法
これも入院中、病名が決まってからも大量のステロイド剤ではちっとも微熱と湿疹がひかず
「今以上のステロイドを点滴で入れます」とのこと。
「ざっと数十倍のステロイドだけど、これを点滴するとてきめんに熱が下がりますよ」と。
そのウン十倍っていう数字と果てしないステロイドの副作用でめっちゃくちゃブルーになっていたら
1人のきれいなナースが部屋に入ってきて、不安がる私に
「実はね、わたしも以前あなたと同じパルス療法を受けたことがあるの~」
でした。
私はそのきれいなナースをじっと見つめて
(こんなにキビキビ働いてるナースのどこがビョーキなんだよ!)と信じませんでした。
でもそのナースは私に
「パルス療法でこんなに元気になったから、わたしがなったからあなたも元気になれるはず!」
と、副作用をこわがる私の肩をポンと押してくれました。
さらにそのナースは
「とりあえずあなたは死なないわよ。
1年後はこのわたしのようにバリバリ働いてますよ、きっと」
今思えばその時私は彼女に「とけない魔法」をかけられました。
闘病10年目にはいりますが私は、まだ
死んでいません。
パートですが、一生懸命働いています。
10前は、辛い悲しい悔しいだるいで言えなかった言葉
今、あなたに届いたでしょうか?




  


Posted by よっといでん  at 22:14成人スティル病闘病家

2012年10月12日

誰かいますか?成人スティル 病さん


今の私の親友たち。
付き合い出したのは、2003年春

こんな痒みも痛みもない湿疹が脚にできて、ちっとも治らない日が続き~
なんとかしようと皮膚科も3軒まわり~
でも湿疹は消えることなく広がり
半年後には微熱がでまくり~
翌2004年1月
倒れこむように入院~
1月が誕生日の私は「今日が誕生日だなんて人生で最悪!」
と古い検査記録のすみにこんなり書きがしてある。

原因不明
熱が下がらずうなされて赤子のようにわがままを言い
老いた実母とケンカして
点滴びんをぶらさげて涙流していつかは治るもんだと思って
いっぱい検査をしてついた病名が
「成人スティル病」
ネットでみたら難病で日本に1100人しかいないらしい。
来年で発病10年
「自分の今」をブーログに書くってことは
自分の闘病も書くっていうこと。
「残したい」ってこういうこと。
迷いなく人差し指をピンと
カッコ良く空に挙げること
~な~んて。ウィンク










  


Posted by よっといでん  at 22:36成人スティル病闘病家